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column

​ビンロウチューイング

Betel nut chewing

​口から血を吐いている!?
不思議な嗜好品 ビンロウチューイングとは?

ところ変われば嗜好品も変わる。 

ミクロネシアのヤップ島とパラオ諸島には、島の人たちが愛好する奇妙なモノがある。

家でも職場でも道端でも真っ赤な口でクチャクチャと何かを噛み続け、ときどき血のような赤い唾をペッと吐き出す。

しまいには何やら赤い実を人目も気にせず地面に吐き捨てる。それが老若男女、子供までが平然とクチャクチャ、ペッとやっているのだ。

そんな様子を初めて見たら、誰もが仰天し「なんて野蛮な島へ来てしまったのだろう」と恐れおののくだろう。 

まるで血がしたたるような真っ赤な口元の謎「南洋ガム」の正体は、ビンロウ(ビートルナッツ)という樹になる緑色の小さな実だ。

 ビンロウはヤシ科の高木性植物で、竹のような幹が10メートル以上に伸びる。節を数えれば樹の成長年数が分かり、1節3か月が目安だという。実は三センチ程のウズラの卵形でアレコリンを始め、数種のアルカロイドを含有する。インドまたはマレー原産と言われ、東南アジアからニューギニアに分布、栽培されている。

 その実を噛むビンロウチューイングは、オセアニアからアフリカ東海岸まで広く見られる習慣で、一般的にチューイングするのは実と葉だが、ヤップ島やパラオ諸島、東南アジアではタバコを加えたり、ニューギニアでは葉よりも花穂を利用したりする。

 振りかける石灰についても、ヤップ島やパラオ諸島では粉だが、北マリアナ諸島ではペースト状が愛好され、それを2枚貝に入れて携帯したため、遺跡からも出土している。またインドでは石灰は完全な液状だ。地域によって噛むものの種類や、状態が違うのはとても興味深い。

 半分に割った実に石灰(サンゴを焼いた粉)を振りかけ、キンマの葉(マレーシア地域原産のコショウ科の常緑ツル性植物。タイ語のキン(噛む)マーク(ビンロウ)に由来)に包んでガムのようにチューイングするのだ。

​ ビンロウを噛むと、最初は青苦さが口いっぱいに広がり、噛み続けると口中がほてって朱赤の唾液が。これは石灰と実の成分(アルカリ性)が反応して赤くなるためだ。ビンロウの実はタバコや茶などに含まれるアルカロイドを含有し、麻酔効果がある。薬としても活用され、日本でも薬用や染料として奈良時代に輸入されていたという。

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 ビンロウはアルカロイドを含むため、試すうちに常習化して止められなくなる。喫煙者が手持ちぶさたになるとつい煙草に手がいってしまうのと同じで、島じまでは暇つぶしのように習慣でビンローチューイングをしている。 

 ビンロウを噛んでいると、次第に頭がぼーっとしてくる。重要な話をしているときに相手がバスケットからビンロウ3点セットを取り出して噛み始めたら、「まあまあ、込み入った話はそれくらいで」という合図。また「まあ、ビンロウでもやりましょうか」と誘われるのも同じ意図。そうなったら諦めてまた出直すのが賢明だ。

 

 ヤップ島では警察官や政府機関の職員が勤務中にもかかわらずクチャクチャやっているし、人が集まる場所で差し出されるのは灰皿でなく唾液を吐き出すための空缶。愛好者はみんなペットボトルを「マイボトル」にして携帯しているくらいだ。 

 

 チューク諸島やポンペイ島でも口を真っ赤に染めている人を見かけるが、それは島間の往来によって次第に広まったため。パラオ諸島のハイスクールに通ったミクロネシアの他島の学生が、パラオでビンロウの味を覚え、自分の島に帰ってからもチューイングしていると聞く。 

 頬を膨らませてモグモグやっている学生を見ると、10代からビンロウを噛んで歯は大丈夫?と心配になってしまう。長年ビンロウを噛み続けると唇や歯が赤く染まるばかりか、歯まで痛みボロボロになってしまう。 

 ヤップ島に長期滞在していた外国人は、毎日ビンロウを愛好し続けたため、帰国時にはびっくりするほど歯がすり減って真っ黒になっていた。 

 

 そんなわけでミクロネシアの年配の常用者はたいてい歯がない。歯を失ってでもビンロウチューイングは止められないらしく、常にビンロウ3点セットを携帯し、棒でつき潰して柔らかくしてから噛んでいる。紙タバコを契って少し加えるとますます味がよくなるというが、どう見ても身体によくなさそうだ。

 ビンロウ愛好者の多いヤップ島では、首長も常用している。儀式の場では「ギィ」と呼ばれる長い杵でビンロウの実を潰し嗜好する。「ギィ」はヤップ本島の首長や高位な家系が持つ価値あるもので、一見、象牙のようだが、お隣のパラオ諸島に生息してる巨大なシャコ貝から作られたものだろうと言われている。貨幣価値がある財貨でヤップ人の威信財であり、長さ30センチメートル以上の立派なものも存在するそうだ。

 

 そのため権威のある首長たちは、「シュウチョウが小さな鉄の棒で潰してたのでは笑われてしまいますからね」と言いながら、民衆の前で「ギィ」を使って潰していた。「ギィ」は権威の象徴であり、首長達のブランドのようだ。長老は「唾液を吐かずに飲み込む方が効く(効果が高まる)」というが、多くの人は飲み込まずに赤い唾液を吐き出すから、見ている方はたまったものではない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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 高木で青竹のようなビンロウ樹の幹を登るのは身軽な子供にしかできないから、ビンロウの実を収穫するのは男の子の仕事だ。親に言い付けられた子供は、紐のような滑り止めの輪を両足にかけて、腕力で垂直の樹を巧みに登る。10メートルくらいの高さからたくさん実がついた枝をもぎ取ってスルスルと降りてくる姿はじつに見事。 

 

 好物のビンロウ樹が自分の庭にない場合は、店で買う。スーパーや商店のレジの脇には実と葉がビニール袋に詰められ売っている。ヤップ島では数十個の実とキンマの葉がセットで2ドル前後。だが、この値段はビンロウがたくさん実る季節のもので、収穫が少ない季節には値段が一気に跳ね上がる。6~7月が最も少ない時期で、10倍もの高値になるのだ。

​ パラオ諸島など、7月になると商店にはキンマの葉しか売られていない。町中がSold Out。あるパラオ人が「でも、大統領が持っている実はデカイんだぜ」と苦笑しながら、いつもの3分の1くらいの小さな実を大事そうにチューイングする姿は、おかしくもあり、気の毒でもあり……。

 

 ヤップ島のビンロウの実は良質なことで知られている。

 そのヤップ島らしいエピソードがある。 

 ある年、島内産のビンロウを輸出にまわし過ぎて、自分たちが嗜好する消費分が不足し、島内のビンロウの値が一気に高騰したそうだ。ミクロネシア連邦のビンロウ輸出高を見ると、1995年は約53万3700ドルあったのに対し、1996年はたったの800ドルしかない。

この年、ヤップからの輸出はまったくなし。値が高騰したことがあまりのショックで、翌年の輸出を止めたとか。

 なにしろミクロネシア連邦のビンロウの輸出高に関して言えば、ヤップ島がほとんどを占めているのだから、ヤップ人の大きな誤算といえるエピソードだ。

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 ヤップ島産のビンロウは、グアムやサイパン島に住むミクロネシア人にも引っ張りだこ。出稼ぎの家族や親戚がいるからと、わざわざグアムやサイパン島にビンロウを空輸で送っている人も多い。サイパン島ではビンロウの実がたった4個で、1ドル25セントもすると聞けば納得もいく。 

 

 では、片時も手放せないビンロウ愛好家が、海外へ出張したり旅行するときはどうするのか?

 あるヤップ人が言っていた。日本へ行ってまず最初に緊張することは、空港の手荷物検査のとき。日本は輸入禁止のため、隠し持ってきたビンロウが見つかりはしはしないかと始終ドキドキするらしい。もし、見つかって没収されたら、日本ではまず入手できないから検査官の一挙一動に心臓は高なるばかり。そして、無事、見つからずにパスした後のチューイングはまさに至福の味という。 

 

 ビンロウをこよなく愛好する人々にとっては、旅のしょっぱなから心臓に悪くても、財布に響いても、歯がなくなっても、それでもビンロウチューイングはやめられない悲しい習慣と言えるようだ。

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ワイ waay

​ ヤップ島では、男性が60センチメートルくらいの手提げをかかえている姿を見かける。ヤップ語で「ワイ」と呼ばれる手作りのバスケットで、ワイの中には職業によってさまざまな持ち物が入っていることから、ワイは持ち主自身を表していると言われる。

 たとえば、修理屋で働いている男性のワイには工具が、学校の先生のワイにはカセットレコーダーが、人と会う機会が多い首長のワイには名刺が入っていた。そして共通点は、ビンロウの実とキンマの葉を入れるパンダナスで編まれた小さい入れ物が入っていることだ。

 村の長老のワイには日本製の砂糖のビニール袋にビンロウ3点セットが入っていた。聞くと、「日本の昔のサトウブクロはしっかりしていて破れなくてとてもいいんです」と。長年愛用しているとのことだった。黄色い容器はマスタードが入っていたもので石灰のパウダー入れに再利用していた。ペースト状にした石灰を使う人もいる。

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